考えてみれば、フジテレビ・欽ちゃんのオールスター家族対抗歌合戦に出演したのは1982年の事ですから、アメリカ横断ツアーより昔の話でゆうたちゃんはこの時、5歳。赤い横しまのTシャツを着て出演しました。そう。ゆうたちゃんは小さい頃、赤い靴や、赤いパンツや、赤いシャツ。なんだか赤い色の大好きな子供でした。そういえば、おもちゃ屋でミニカーを買う時も必ず、気がつくと赤いミニカーをつかんでいました。靴下も赤。そんなゆうたが今では、一切、赤い色のものに興味を示さないのですから人間の成長はまた、不思議。あの日の赤い色好きのゆうたちゃんはどこへいっちゃったの?ひょっとしたら、おじいちゃんになったら、赤い服を着てたりして.....
ところで、僕がフジテレビ欽ちゃんのオールスター家族対抗歌合戦に出場したきっかけも偶然でした。その前の年は、ニューヨーク国連本部で地球歌の日コンサートを開催したのですが、あまり、ゴールデンアワーのテレビに出演するという事はありませんでした。ある日、ひょっこり当時所属していたキャニオンレコードを訪ねると宣伝マンの三井さんがデスクにいました。三井さんは、僕に向かって「すがはらさんもそろそろ、テレビに出演してみてはどうかな?」と言いました。「テレビ?そんなに簡単に出られるの?どんなテレビ?」と聞き返すと三井さんはその場でフジテレビのディレクターに電話をしはじめました。「今、ここにすがはらさんがいるんだけど、オールスター家族対抗歌合戦にどうかな?」僕は、驚きました。オールスター家族対抗歌合戦といえば、当時、フジテレビの看板番組で、売れっ子の欽ちゃんが司会者です。突然、三井さんが僕に受話器を渡しました。思わず、僕が受話器を耳に当てるとディレクターが「すがはらさん!本当に出演してくれるんですか?それじゃあすぐに、スケジュールを組みましょう!」なんと、その場で出演日まですべて決まってしまったのです。テレビに出るなんてけっこう大変な事だと思っていた僕は正直言って肩透かしを食ったような気がしました。テレビなんて、こんな形で出演者が決まるものなんですね。
とにかく、すがはら一家は家族対抗歌合戦に向けて、早速リハーサル。ゆうたもそうたももちろん出演です。歌ったのは「手のひらを太陽に」。でも、写真を見ればわかるように、そうたちゃんの姿は見当たりません。そうです。やんちゃなそうたは、ここでもやってくれたのです。本番中にスタジオ内をかけまわったり、大声を出したりしすぎてスタッフに退場を命じられスタジオ外に連れ出されてしまったのです。本番に残ったのはゆうたちゃんだけ。やっぱり、よい子はゆうたかな。案外、こんな二人だから今があるのかも......「手のひらを太陽に」は、大好評。ダントツの高得点で、すがはら一家はチャンピオン!
その後、年間グランプリ大会にまで、出演する事になってしまいました。優勝商品は海外ツアー。後日談ですが、僕達一家はスケジュールの都合上、行くことができず、僕の母に行ってもらいましたが、その次の週のチャンピオン一家が松田聖子一家で、結局、僕の母と聖子さんのお母さんで海外旅行で行くことになってしまいました。旅行の後、聖子さんのお母さんから、ていねいなはがきが母のもとに届きました。もし、ゆうたちゃんもいっしょに行ってたら聖子さんのお母さんにかわいがられたと思うと人生不思議です。
|
「優勝はどこかなぁ?」幼いゆうたちゃんもちょっと心配顔。
|
|
優勝はすがはらやすのり一家でーす!
欽ちゃんの元気な声に「やったー!」ゆうたちゃん下向いてる?
|
|
おめでとうございます。優勝商品は海外旅行です。めでたしめでたし。
|