第十五回「刑務所に響く歌声」
当時のニューヨークは最も危険で荒れている時期で、特にセントラルパークから、北の地域は夜、殺人事件が連続して起こり、一般人がそのあたりを歩くという事は考えられない状態でした。僕自身、地元に長く住んでいる人から驚くべきアドバイスを受けました。「もしあんたが、あの地域を歩くんだったらこれだけは覚えておきな。まず、襲われたら左手で相手の髪の毛をひっぱる。そこで相手がひるんだ瞬間に右手の人さし指と中指を立てて思いっきり相手の目を突き刺すのさ。失敗しちゃいけないよ。確実に目をえぐりとるのだ。もし、失敗したらあんたの命はないよ。とにかく、相手を失明させる事。それしか逃げる方法はない。」日本では、考えられない事です。
それほど、犯罪が日常化していたのです。その少し前ニューヨークは風俗や秩序が乱れ、犯罪が激増し一般の人達がニューヨークから逃げ出し、他の土地へ移り住むようになってしまったのです。残ったニューヨークはますます荒れ放題。税金も収めないので市も清掃車や犯罪の取り締まりに手がまわりません。本当に恐ろしい都市と化してきていたのです。前回も言いましたが、最近の新宿、歌舞伎町や、渋谷センター街の変貌を見ているとやはり、ニューヨークの10年遅れで日本も突き進んでいるような気がしてなりません。(その後、ニューヨークは国ぐるみでこの問題に真剣に取り組み、10年かかりで以前の活気のあるニューヨークへと戻りつつあります。)
ゆうたもそうたもそんな事とは知らずに天使のような笑顔で刑務所を訪ねました。知らないという事はこういう場合には本当に力強いものです。もちろん、お父さんがついていたからですが。そう。しっかりしなければいけないのは僕なんです。刑務所の中には覚醒剤をはじめ、多くの服役囚達がいました。大きなロビー。みんな集められると、ここでもあどけないゆうたやそうたの姿に服役囚達は目を細めて心なごませます。服役囚達をよく見ると10代の少年少女もたくさんいます。ところが、なんとその少年少女達の目が活き活きとしているのです。よく聞くとこの刑務所で一番大切な更正方法はなんとやはり、みんなで歌うという事です。どの子もどの子も幼い頃家族とともに教会に行っており、みんなで心を合わせて歌ううちに幼い頃の透明な心が戻ってくるのです。
教会に行く習慣のない日本人にはわからない事ですが、白人や、黒人、多くの人種で成り立つアメリカ人にとっては音楽こそがたった一つの共通の言葉だったのです。歌う事によって孤独から解き放たれるのです。刑務所では毎日毎日歌うそうです。彼等の歌う黒人霊歌はこれまでのどんな、歌手の歌よりも魂がこもり、まさにソウル。鳥肌が立ちました。涙が出ました。これこそミュージック。アカペラのハーモニーがからだに響きしみ込んできます。僕も思わずそのハーモニーに合わせてソーラン節を歌いだしました。不思議です。英語の黒人霊歌と日本民謡のソーラン節が見事にシンクロして感動のハーモニーが湧き出てきます。ゆうたもそうたも無邪気に手拍子。そしてソーラン!ソーラン!と叫んでいます。どんなステージよりも真の音楽がそこにありました。
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